とりあえずとても眠い

出し惜しみせず出していくべきだと思うのだな。出し惜しみをしているように見える現状とはいえ、それは実は別に実は実際のところ、おのずから進んで惜しんでいるわけではなく、ただ惰性から浪費しているだけです。誰のせいにもできたもんじゃない。

もっとはずかしい風に言ってしまえば、ツイッターなんかのSNSが生活の場になってしまっている、そういう人もいるというのをしっかり知るべきだったと思いはじめたというか。朝起きたらミクシィの日記をチェック、しょうもないコメントを残して一人悦、そんな人よりはマシだ自分はなどと思い続けて、まあそれは今なおまったく正しいのだけども、でも正直、バカにできる次元にまだ住めているかっていうといやあどうかなという、それくらいの程度の問題が生じはじめている。

これはある人にとっては生活に支障をきたさないほどのものであっても、ある人にとっては致命傷になりかねんという、ひどい現状の不始末というやつで。

気を抜かず生きてきたつもりでいたし実際そうだったからこそ、自分の行動に鈍感になって麻痺していて、本当は愚だと思ってることにも無条件にうなずいてしまうこと増え。ダメだなあと思いつつもどこからダメだったかわからなくなったのかねえ。

生活の場がインターネットという話だけど、これが何故まずいかというと、つまんないんだな「もっとおもしろいのに」というものもWAVファイルをMP3に変換するくらい磨り減った状態で楽しむ習慣がついている。

「そういう楽しみ方もあるよね」と言ってしまう心地よさで、また麻痺。最後になって「これを知る前のほうがよかった」と思ってそういう話題ばかり振りまきながら談話、飲み会、井戸端会議、でいいのか。たくさんそんなの見たことないか。

今やってるみたいに、「」を使って平易な表現どころの問題じゃない、文章にできる最低のレベルより下、横でなくて、から説明することが、よく言われる「本当に頭のいい人は難しい言葉を使わずに誰にでもわかる言葉で話せる」とかそういうやつの本体、僕が頭いいとかじゃなくて、そうやって語られる頭いい人論の中にはそれくらいのものしかないよという話。

論破というやつだって、うまいこと言えたもん勝ちなわけで、その時点で冷静じゃなかった人はもうずっとみじめと言われ続ける結果になりえんとも言えないし、感情の制御と知性もまた別問題。ゆるい頭のマグレに陵辱されてしまったら、それは日常の妨げになるし、ネットで起こりがちなやりとりの中でもっとも下劣なやつ。観衆もはちゃめちゃな加速度で増えていくしもうやめたい。

どうしようもないことに対して文句を言っちゃったり、精神的吐瀉物投げつけてくるような連中が跋扈する場所にいてはだめだ。それはそれで快楽だし、人間そういう風にすることをいつも望んでいるのかも知れないけど、それひとつもしないとまでは言わないそういうことする自分に自覚を持てるくらいのまともさを持った人の近くにいたいものですなんだ。そんな界隈で落ち着けたらいい。本当はそういうのをいつでも望んでいるのだたぶん僕は人がどうかは知らなくても。

段々とタブひとつしか開いていない状態に満足できなくなってくる落ち着かなくなってくる。音楽を聴くだけではいけなくて他のことをし始めるまたは他のことを考え始める。そんなところに行きたくなかったんだ僕の脳の中をさまよっていそうな人は。バランスが悪くてとてもだめだ。

どこが自分の場所かちゃんと知るべきだ。見下し癖が身をひそめてしまったのもそのバランスが悪くなってしまったからだそういうことだ。別にいつもの場所に誰かを見下しに行きたいとかそういう話じゃない全然。ここだと思う場所は自分にとって当然でいつでも帰ってこれるはず。ダイエットをしよう。ストレッチをしよう。タイムマシンに乗ろうどこでもドアを手に入れよう