鳥の誓い

本の書き出し(枕)だけが晒された状態で売られているわけです。

買う人にはあとは値段と全体の厚さくらいしかわからない。

そんな条件でお客さんが選らんだ枕の一位から三位を以下ツイッター引用

KinoShinjuku 紀伊國屋書店新宿本店
【2階催事】あした世界が終わる日に 一緒に過ごす人がいない #hon_makura (第三位)
2012.08.03 22:46 twitter

KinoShinjuku 紀伊國屋書店新宿本店
【2階催事】「きみがあらゆるものを恐れているのなら、この本を読みたまえ。」 #hon_makura (第二位)
2012.08.03 22:49 twitter

KinoShinjuku紀伊國屋書店新宿本店
【2階催事】水のように澄んだ空が星を漬し、星を現像していた。 #hon_makura (第一位)
2012.08.03 22:51 twitter

という感じなんだそうです。

一位は超有名児童文学でした。

わざわざそれを買うっていうのは多くがその本を読んだことのない人だろうから、それっていうのはすごいことだよなあとなんだか恐れ入る気持ちに。


自分は正直「ラノベばっかりではないか」とか思ってしまったけど、調べてみると全部違ったので落ち込んだ。慙愧の念に耐えない。精進。くはっ。

それというのもやっぱり、自分の中にどこか安易でないものを選び取ろうとする習慣というか、野暮なものに手を出してしまうのは恥だ、忸怩、慙愧、くはっ。というような思想が潜在しているからなのではと思っトゥア。

有名なコピペで、なんだか文章にケチをつけてるけど、それ川端康成の文章だから、というやつを思い出しトゥア。

かと言ってその文章の出来がよくないとかセンスがよくないとか思ったからと言って、それを無理矢理「いや、これはいいのだ」と捻じ曲げてニコニコしていれば、あとになってそれが大物作家が書いたものだったとわかった時に「いやね、そう思ってたんですよ、僕は実は。トゥア」とできるわけだ。

「たいしたことねー」って言う人を笑う人も、「いや、わかってました」って言う人もインチキ的だナァーと思うけど。

かと言って最初からすごいって言う人がインチキかそうでないかとかどうだとか決めてしまう人も、もしかするとインチキかもしれないし、なあ。


前衛芸術とか、もっとシンプルなところで俳句とか。そういうものの良し悪しもナー。難しいよナ。

「すごい。誰が考えたとしてもすごいよこの作品は」というものもあるし、「なんかよくワカランナァー。えっこれピカソなの。うーん」ということもあるからには。

それでも、


船は出てゆく
殺意は残る
女の服を
着せられて


「美文や、こらほんま美文やで」と思います。

バンド・オブ・ザ・ナイト (講談社文庫)

バンド・オブ・ザ・ナイト (講談社文庫)

『頭の中がカユいんだ』のあとがきで、らもさんは「これ以降の単行本は、すべてユーモアとエンターティメントを志向して書かれている」と言い切っていたけれど、これには同種のヒリヒリを感じるような。

ダメだっ。

おーん

ジョイなライド

友人とブランデー飲みほす。

やばい勢なのだけど、やばくなるのくらい前からわかってたし、まあふさぎ込まない程度にやりましょうよ。

麺はメンタルを駄目にする。だんだん脳みそと麺がすり替わってくる。そうなってくると、火星の土はミネラル豊富で私はそして財布に入れた妻と子の写真を眺めながら来るべき時が来るのを待っていたのだがその時丘の向うからやってきたものに目をみはったなんとそれは故郷で私が育てていたペットのベイビー・Dだったベイビー・Dは悲しそうな目で私を見つめながらそのおぞましい足をひきずりうごめかしこちらへやってくるその姿にかつてのおもかげはなく彼の腕や足はぬるぬるとした触手のように変形していて顔などもはや正視に堪えないようなまがまがしい表情をしているしかし彼は確かにベイビー・Dなのだこちらを見つめるあの小さな瞳あれはまさしくベイビー・Dの目だそれだけは疑いようのない真実だ僕は足元に転がった自動小銃に目をやるそしてそれを構えて溢れる涙を袖で拭いながら

ソビエト

題名がすべて、題名をつけることがすべて、一行一行題名をつけるようにして歌詞を書いている。

淫モラル水産省長官のとして氏主催の女子会に行った。熟睡のますだありっさも。

おフランス料理だかなにだかを食べるというので、庶民の舌にはわからないようなおいしいのかおいしくないのかわからんものを食べないといけないのかな、とか無駄に警戒して行ったのだけど、おいしかった、庶民の舌にも。一番おいしかったのはオトーシで出てきたグリーンピースのムースです。うにみそみたいにビンに詰めてつまみにしたい。オマール海老も怖かったけどおいしかった。デザートは覚えてない。接客がすごくよくて、自分なんかがここにいてはダメだ、と思った。西通りの下着屋の上にある昭和タイムスリップ酒場 福岡ミルクホールの上にある。

ボーダーラインレコードに行こうと思って適当にバスに乗ったのだけど、降りたところが偶然まんだらけの前で、僕の運命はだめな運命だと思った。

まんだらけでディックの流れよ我が涙サンリオSF版買った。サンリオのディックとか、全然稀少価値はないのだろけど、なんとなく持ってるだけで誇らしい、ような。読めればいいんだけど。浴槽で発見された〜はどうしてもほしい。


ジミーラヴェルさんは生楽器とエレクトロニカの折衷さいこうだけど、この曲のドラムはとてもいい感じの響き方で、生ドラムはこうでなくちゃなと思ったな。ナマトロニカ。なまとろにか

家族マート

英語の歌、「いまゲイって言わなかった?」って思ってもたいてい空耳なのだけど、ベルセバは「he was gay」だった。

日常で「思い出す」という行為を全然しなくなっているのはまずいよなあ、と思ったので、せめて日記くらい書いてその日のことを思い出そうと、思った。思い出した。

だいたいからして僕はこういうのがニガテです。エンターテイメントは嫌いだとか言う人に限ってみんなはエンターテイメントが好きなんだろって思ってて、なんか人に見せるもの作る時はやりたいようにするけど、どこかで人を楽しませるような要素も入れておきたいところだとか考えていたり、するもの、なようなもの、なのかな。

たぶんそういうのではないのだけど、やはりブログというのも、誰も見てないとしても公開してる時点で見世物なので一応、気合いを入れなくてはなあとか。思うよね。別にいいんだけどねなんでも。

あーまだ日記を書いてない。早く書きますね。ちゃっちゃとやるべきなんだな。気さくに、たくさん出していかないと。どうでもいいようなことも書いちゃうのがむしろ肝要。



僕はむかつくやつなところがあるのでライブ日記みたいのは書くまいと思ってるのですが、特に好きだった人とかをピックアップして書くのはセーフということになってます。線引きはいつもプチ甘めなシチュエーショーンで。

昨日は初めてgigiというカフェバーに現れた。Doit Scienceと倉地久美夫さんを観に行った。

ドイサイエンスはアコースティックで、わりとハプニング(パーカッションの木でできたおもちゃみたいなドラムセット外れたり倒れたり)あったり、ミスと分かるミスとか多かった。
初めて見た人にとってはどうかわからんけど、ファンだとそういうのやっぱり楽しめてしまうんだよなあ。そしてその反面で「ライブでミスをするというのはこんな感触をお客さんに与えてしまうのか」とか、一応音楽の流れには影響してるわけだから、ミスない方がいいはいいのだろなあみたいに、思うのです。
それでもミスを楽しめるのはすばらしいことだと思いますどちらかというと。

倉地さんは、場がなごやかな雰囲気だったせいか、神々しい感じはあまりなかったな前に見た時ほど。凄すぎるシンガーさんたちを見ると神聖視したくなるものなのかも。やめた方がいいとは思ってるけど、それで入り込めるんならまあ。しないけど。
でも倉地さんはそんな扱い受けても仕方ないよなあと思うくらいな。次のでもは神々しいとは思わなかったの方にかかるでも。でも氏の親しみ持てる感じのステージもそれはそれで好きだナ。
「なにがどうなってそうなったのか」みたいな賞賛はわりと最上級だ。トクマルシューゴmoools紹介する時にそんなようなことを言ったりしてた。ドイさんも倉地さんについてそれに近い感触のことを言っていたと思う。素敵なことですね。みんなどこへ行くのか。


マックがまずくて、ファーストフードが舌先だけのちょっとした快楽も与えられないなんて失格じゃねえかなにがスター氏だ剥ぎ取ってやるからななどと呪詛を吐きつつ向かったのだったgigiに。

ギネスビールを飲んだ。いつも玉入ってて好きだから缶しか飲まないのだけど、ビンのビンもいいなと思う。お持ち帰りたかった。おつまみセットの豆がおいしかった。鳩になりたい。鳩になるのが一番豆を楽しめる方法だと思う。

放浪息子という作品の中の世界が好きなので放浪息子の12巻と13巻を買った。少年少女が大人になっていく過程を描くわけだから、いつまでもみんな小中学生ではいない。過程を見守る側からすると、つらい、ものが、あることも、ありますよね……。
小学生、中学生の時代にしか持てない輝きとか。思い出したりもしながら生活したいです。
高校生編がどうなっていくのかも楽しみです。志村貴子さんはいい漫画しか描いていない。いい漫画の中にいいシーンしか入っていない。まあ家の本棚にある本の作家さん全員に贈りたい賛辞ではあるけど、いやそういうのよくないけど。まあでもそういう風に思ってしまうのは思ってしまう。

鳩になりたい。漫画や映画の世界は現実の世界とは全然違う。漫画や映画があることは涙が出るほどすばらしいことダナアと思う。現実で涙を流すことはもっと価値があると思う。Win-Winの関係ですね。調子にのんなよ。一度きりなんだよ。すぎちゃんの輝きをこれ以上。ウーン。許せないわ、末広安那


>ますだ氏
わかっていましたとも

虎乳

イトイさんはよく「なんでもない日、おめでとう」と言っているけど、「なんにもしない日」は「なんでもない日」だろうか。おめでとうできるだろうか。たぶんダメだな。なんにもしないなんて普通じゃないしなあ。普通が一番難しい。稲チュー読みたいな。古谷実。ギャグの中にキラッと光るなにか。そういうものを描く方が向いてるんじゃないかなと思うのだけど、そうもいかんのでしょうね。本人的にかな商業的にかな。どっちが正しいかわからないけど。シリアスも好きだけど、やっぱりユーモアはエンターテイメント方面に向きやすいけど、決してそればかりではないとも思うし。うーんバランス。なにがどうなってそうなるのか。

その手の雰囲気の漫画の装丁数多くや、「かわいいは正義」「いつでも今日が、いちばん楽しい日。」などの名コピーで知られる里見英樹氏。彼はツイッターでもそれ級の名言を飛ばしまくっていてすごい。ひっそりやってるぽいのでRTなどはしないのだけど、「理性を捨てよ、町へ出よう」とか「さよならポニーテール、こんにちわ住民票」とかそのままどこかでキャッチコピーに使えそうな。というかあの人のツイッターはほとんど没コピー捨て場みたいな感じ、大変おもしろい。町田康のブログも、なんかそんな感じなのかもしれない。毎日どんどん産み落としてるのだなああいう言葉たちを。

スーパーカップとか爽とか、バニラがいつまでもアイスの主役で、バニラだけはいつも欠かさないようにしているみたいな風潮がありますね。それが苺や抹茶だったらまずいこともあるのかもだけど、バニラポジションにチョコがあってもそんなに問題ないんじゃないかな。というか、なぜバニラなのか。いいけど。なんだかそこについてを考え始めるともやもやしていって止まらなくなるみたいなのがある。いいけど。女のもういいよは全然もうよくないみたいな感じの記事を先日読んだけど、そうなのでしょうね。自分のもういいよはどうかな。あなたのもういいよは? どうかな。もういいのかな。まーだだよ。ごめんなさい。いいです、いいけど

ocen

題名をつけるという行為。

なぜ題名をつけるのか。全部無題でもいいじゃないかとたまに思うけど、ダメなんですな。めんどくさい、題名がないと、探したり話題にしたりとかが。

それでなくとも名づけるというのが肝要かもしれない。でも題名をつけるのと名づけるのはちょっと違うと思うし、作品を名づけるのは、なあ、というか、無機質な感じで題名だけちょんとついているのが好きダナア。思い入れみたいなものとかなしで、ダイのメイだけであってほしいなあ。

でもヤッパリ題名が生まれないままハッテンした世界をときどき妄想してしまう。
なんではってんって売ってハッテンになるですかこのクソPCと思ったけど僕自身がくだらないだけだった。
ありとあらゆる作品という作品が名前をつけられていなくてそのままで並んでいる。みんながどんな風にそれらひとつひとつを呼ぶのかとか。ですね。

僕なんかの名前のつけかたはかなり気軽なもので、まあそれはそれで気に入ってるのですけど、他の人はどうなのかな。重い入れとかくっついていたり、ちゃんと内容と関連していたり、中身のことをある程度表現していたりするのかな。どれもあんまり欲しくないのだナア。

ナイトオンザプラネット


ぼくとはだれですか