サタデイ気分

ゴーイング爽快ィイイイッピィ。

背中にバランスボールを添えておくだけで腰がのびる。

テスト中に先生がうしろを通ると、やましいことはないのに考えを一旦とめて、そわっとしてしまうあの感じ。

王様は「おうさま」なのだけど、いまだに「おおさま」と書きたくなるけど、バカじゃないです。

具体的なメソッドや、精神論にしてもやはり具体的、日常の生活の中に直接響かせることができるような、いわば実用的とも言えるような文章を毎日々々書き続けてるイトイさんはエライ。

例えば僕としては、上のバランスボールどうのとか、爽快ッピィがどうののあたりなんかあれ具体的で、日常的だろうと思って書いたのだけれど、そんなでもないというか、これが限界。

抽象的なことしか書けない。僕程度で思いつけるような具体的なことには価値がないような気がする。

具体的なことは具体なので、価値はそこまででおわり。誰が見ても聞いてもそれだけの意味。

誰の思いつきでも誰かが気に入る可能性はある。おしり○じり虫がスベりつつ流行ったことも、例えば博多駅のホームレスが思いついて一言、「おっぱいエンペラー」などと呟けば、それは僕の中でおしり虫を越える思いつきとして消化され、一人にんやりすることもできるし、「これは俗なお笑い芸人には真似できない芸当だ。文化的教養の糧になるものを見せてもらったあっぱれ」なんて勝手に評価したりもできる。

ついったーはまさにそれで、瞬間最大偉大度で言えば、一般人のツイートが著名人のそれを上回るような事態は日常茶飯事であり、っていうか、著名人は忙しいのであんまりついったーにまわすエネルギーを余してないので、どちらかといえば一般人のツイートの方が目立たないけどおもしろいという結果になるようなこともあるようななので、一発ネタならば着想の時点でおよそすべての人々が神になれる、可能性を持っている、そんなついったーが今日もスキ。それがまた不特定多数の人に見られうるチャンスにあふれてるというのもステキ。

もちろん、そんな瞬発力は人によって違うし、これは才覚と鍛えて身につける部分がハッキリ分離している問題だけれど、寝る。じゃない寝て万全になっていやフラフラでもまた違ったアレが生まれるかも偶然に身をまかせやなせたかしちらしLoverコンシャス